アマチュア無線の歴史
1837年 | モールス(アメリカ)モールス符号を使った電信実験に成功。 |
1901年12月 | マルコーニ(イタリア)大西洋横断無線電信の実験に成功。 |
1915年11月 | 日本で無線電信法施行される。 |
1926年6月 | 日本アマチュア無線連盟設立。連盟37名。 |
8月 | 八木秀次・宇田新太郎の両氏が八木アンテナを発明(特許取得)。 |
1929年1月 | コールサインが改変され、日本全土・植民地がJ1〜J9と 地域ごとに分類される・ |
1934年3月 | 函館大火で我が国初のアマチュアによる非常通信実施。 |
1941年2月 | 新井信雄氏(J2UA)に免許が下りたが、これが戦前最後の個人局。 |
12月 | 太平洋戦争が始まり、開戦と同時に施設実験局へは 使用禁止命令発令。 |
1945年3月 | 東京大空襲 |
1946年3月 | アマチュア無線再開についてGHQへ請願。 |
8月 | JARL再結成全国大会が開かれ、会長に八木秀次氏が就任。 |
1947年10月 | 50Mhzで沖縄のJA9AOとチリのCE1AHが交信。 |
1952年3月 | GHQは日本政府に対し「アマチュア無線禁止に関する覚書き書」 を解除した旨を通告。 |
1953年5月 | 3.5Mhzのスポット割り当て追加。 |
1956年1月 | 根岸秀忠氏JA1AHSが50MhzでVK4NG(オーストラリア)と交信。 これが超短波における初の海外とのQSO。 |
3月 | 大島保男JA6FRが50MhzでLU3EX(アルゼンチン)とQSO。 1万9190kmの世界DX記録。 |
抜粋:CQ出版「アマチュア無線の世界」原 昌三 著